ベンジャミン・グレアム

グレアムは財務分析を初めて本格的に行った人物です。
1894年ロンドンに生まれ、両親がアメリカに移住したためその後、当地で教育を受けウォール街で職に就きました。
1919年には若干25歳にして年俸は60万ドルに達するなど優秀な業績を上げています。
しかし、29年からの大恐慌により経済的に破綻の瀬戸際まで行ってしまいました。
この経験から多くの事を考えたに違いないグレアムは証券投資に関する健全な理論構築を模索し始めました。

28年からコロンビア大、夜間コースの金融関係の口座を証券の仕事ともに持っていたが、このときの教授仲間デービッド・トッドと共に 研究結果をまとめ上げたのが、34年に出版された『証券分析』です。
この研究は、相場の動きを追いかけるのが従来の株式に対するスタイルだったものを、証券の価値が何処から来ているかを分析した画期的な研究でした。

グレアムの投資手法

晩年までにグレアムが研究し続けた健全な投資とは何かという概念は、『安全余裕率』が高い時に株式を購入することが健全な投資になりうるという結論でした。
『安全余裕率』とは本来の企業価値よりどの程度、現在の株価が低く見積もられているかという指標です。
企業価値はざっくりと語ってしまうと、現在の収益と将来企業が生み出すであろう生涯収益を現在価値に置き換えた合計から成り立っています。(この概念はのちに説明する予定です。)
難しいのは将来の収益合計が企業価値推計の少なくない部分を占めることですが、こちらはあくまで予想から成立っており正確に計算が出来るものではないことです。
収益は経営者の質、業態、そして将来収益は予想者側の楽観、悲観度によって大きくぶれるわけです。

恐慌前のバブル時は予想部分で過度の楽観が起こり株価は高騰していきましたが、これを肌で体験していた グレアムは将来価値に重きを置いた行動を好まず、予想が比較的容易な現在の収益と最終的な損失の歯止めを純資産に求めた行動を好みました。
これは予想が外れ収益が激減しても、解散価値である純資産は計算が将来収益よりも容易に計算可能で、購入価格をある程度下支えしてくれると期待していたからです。
結果グレアムの『安全余裕率』は現在収益から求められるPERが低いこと、また1株当たり純資産の3分の2を下回る銘柄であることが、『安全余裕率』が高いことの基準になったのでした。
それら基準を満たしいてる銘柄を多数保有する分散投資がグレアムの投資スタイルでした。
→次へ フィリップ・フィッシャー
→戻る トップページ

上に戻る